松本悠佑の旅行写真ブログ

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【京都】上御霊神社(応仁の乱 勃発の地)

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上御霊神社(御霊神社)は、京都市上京区に位置しており、応仁の乱の勃発の地として知られています。

ご参拝の方は境内に駐車できますとのことでしたが、私は電車で訪れたので駐車は不要でした。

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上御霊神社と似た名前で、同じ京都の西京区桂に「下桂御霊神社」という神社がありました。

matsumotoyusuke.hateblo.jp

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■AI解説■
上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)は、日本の京都市上京区にある神社です。この神社は、応仁の乱と呼ばれる戦乱の中で亡くなった多くの人々の霊を祀っています。応仁の乱室町時代の戦国時代の前段階であり、激しい内乱となりました。上御霊神社は、その戦乱の犠牲者たちの冥福を祈るために建立されました。 上御霊神社は、広い境内に多くの神社や祠があり、応仁の乱で亡くなった人々の霊を祀っています。参拝者はここで祈りを捧げ、犠牲者たちの冥福を祈ることができます。また、応仁の乱の歴史について学ぶこともできます。 上御霊神社は、歴史的な意義とともに、美しい自然環境に囲まれています。多くの観光客や信仰者が訪れ、静かな神聖な雰囲気を楽しんでいます。

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御霊合戦の跡もありました。

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上御霊神社の境内には緑があり、椅子もあって少し腰を下ろして休憩することも可能でした。

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御霊神社という名前の神社は全国各地に存在しており、5柱の神(五霊)を祀る(祀っていた)もの、祖神・先祖の霊を「御霊」として祀っているとのことです。

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こちらが応仁の乱 勃発地の石碑ですね。

応仁の乱は歴史の授業でも出てくるくらい有名です。

ちなみに応仁の乱が勃発した年の覚え方は、人よ(14)、むな(67)しい、応仁の乱で、1467年です。

 

応仁の乱とは?
応仁の乱は、日本の室町時代に起きた内乱です。応仁の乱は、1467年から1477年まで続きました。この内乱は、室町幕府内部の対立や領土争いなどが原因で発生しました。幕府内部の対立は、将軍家や守護大名、公家などの間での権力争いや利益の確保をめぐる対立が背景にありました。

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